自分の中の同調圧力。その中で気づくこと
最近、自分の周りのお金事情を雑談していて、不思議なことに
イライラに近いような不快感を覚えました。
冒頭にすみません苦笑
自分の周りの皆さんは景気がよろしいんじゃないかと思えるくらい豪快でした。
「ドイツ製の車(三菱型のマーク)をかった」
「ご褒美に宝石を。」
「ヨーロッパ行ってきます」
「仕事で着ているこのズボン、2万円ですー」
いやー、びっくりした!
以前までだったら純粋に「すごい!」と思うだけでした。
しかし今回は話しているうちに心がざわざわする「ざわわ」状態になりました。
自分自身では同じ使い方は以前からしませんが、こういう気持ちになるのは初めてで戸惑いました。
(自分自身がお金をつかって何かを買うときは、それがを買うことで一体どんな体験ができるのかといったことにフォーカスしています。なので車を例にすると、目的地までたどり着く手段の一つなので安全に走るのならどんな車でもかまいません。)
同僚とも仲悪くなく、雑談しながら笑っている最中です。
時間をおいて考え続ける中でなぜ自分がこういった気持になったのか、わかりました。
それは
自分の中の同調圧力
だと分かりました。
お金の持ち主は、当然使った本人、つまり同僚です。
そのお金を使い方を決める/使う権利も本人です。
自分自身はそこに介入したり口出しする権利は持っていない(当然ですが)。
そしてお金を使うことにつながる価値観というのも人それぞれ違います。
なのに自分のお金でないのに純粋に驚きや羨望(?)ではなく不快感にちかい感情を感じたのは、周りもみんな自分と同じように考え・お金をつかう「べき」という同調圧力以外ないという結論に達しました。
こわいですね。
しかもそのべき理論は、自分の中の心のどこかで「そう考えた方がいいよ」という正義感のような感情もありました。
隣人のよかれと思ってするアドバイスほど害。
同調圧力。
自分自身が苦しめられて困っていたりする環境があるのに、自分自身もしてしまっている。
無意識に加害者になっている状況になってしまったことに反省です。
もちろん同僚のお金の使い方に関しては関心しません。
しかしそこに関しては同僚本人の気づきや見直しがないと変えたりできませんし、その権利は少なくとも自分にはありません。
本人たちはむしろそのお金の使い方に幸せを感じているのです。
これに気づけたことで2つ自分の中で大きな気づきがありました。
一つは、自分自身が同調圧力にさらされた時の気持ちの持ちよう。
以前までは「ほっといて!」と純粋にうっとおしく(なんだったら邪魔するな!くらいに)思っていましたが、今回の経験を経て「純粋にこうしたらいいというやさしさなんだな」と感じるようになれました(なれる予定です笑)。
自分自身が同じことをしてしまったことで、邪魔したり足を引っ張ってという悪意ではないこと。
むしろ非常に純粋な善意でおこなっていること。
このことを理解・体感したことでそこからの自分の感情が変わることを期待しています。
もう一つは、同調圧力の極み(この表現が適切かはわかりませんが)は常識であるということ。
人が列で並んでいたら、そこで横入りしてはいけない。
ごみは持って帰るべき。
これらは正しいですし、日本人が良く海外で称賛される文化です。
自分も誇れる美徳だと思っていますし続いてほしいです。
これらもよくよく考えると、周りから「こうした方がいい」というのが進化していくことで生まれたものだと理解しました。
同調圧力も社会のコンセンサスになると常識とよばれるものになるということです。
自国の文化が通じない海外の方(他国なので当たり前です)。
職場の通例が通じない新規採用の人(その暗黙の通例を教えてもらってないので当たり前です。)
何が常識か、なにをもって常識と呼べるのか。根深いですね。
自分の中の同調圧力。
決してあまりポジティブではない状況でしたが今後ポジティブに変えていけるようにしていきます。
自分自身の価値観と他人の価値観はちがう。それでよいんですね。
他人の価値観に追従する必要はないし、自分でそれを選択すること。
情報はしっかり知る必要があるので、その中で選び取っていきます。
それではまた~。