手段と目的を混同?!なかなか難しい
・なのための行動なの?それは一つの手段なのでは?
・何度も自問自答しよう
Twitter を見てたらキングコング西野さんのVoicyで、
「目的」と「手段」の区別がつかない人との向き合い方
という放送がバズっていたので聞いてみました。
目的と手段、よく混乱しませんか?自分自身よく分からなくなります。
目的≒ゴール 手段≒方法
ご飯を食べる お箸をつかう、スプーンを使う、フォークを使う
そのゴールに向けて、適切な手段を選ぶのは当然です。
目的 手段
楽しませる 漫才をする→TVに出る→映画や絵本、舞台を創り上げる
こうなっているのが西野さん。
しかし世間では
「何やっとるんや」「初心に戻って漫才しとけ」みたいな声が多かった。ということ。
決して漫才だけが楽しませる手段ではないのに、漫才をやることが目的になってしまっている。ということでした。
これに関して自分自身、身がつままれる思いです。
目的 手段
幸せになる お金に不自由しない、時間が十分にある
これが自分の目的と手段です。
しかし、ここ最近は
目的 手段
お金を稼ぐ 労働する
になっていた気がします。
幸せになるために経済的・時間的自由の達成のはずなのに…
働かずに生活していくために働いているつもりでした。
しかし祝日に働き、子どもが熱を出しても顔も見に行けないのが現実。
これではいけませんね。
聖帝サウザー氏は、
働いてもらえる給与というのは
回復するための経費を会社が自分自身に払っているものである
と言っています
つまり働くだけ削られているいうこと。
そして労働者としての給与が増えると生活コストが上がる。
さらには税金が増えるという
二重苦でラットレース(ドロ沼の底なし沼)まっしぐらです。
じゃあどうしたらいいかということもサウザーさんは言ってくれており、
回復する費用 ≪ 自分の給料
にする必要がある。
そうするには労働で働く給料に加えて、自分自身の副業やスモールビジネスというものの給料を増やすと言っています。
サウザー語録で言う
「商品を持つということ」≒手段です
不動産です!(株や投資信託で十分に作るには元手が1億以上必要です)
こう書きながらも幸せ=時間とお金がリッチだから働くのは正しいじゃん?!
と混乱します。
前半部分は正しいのですが後半は間違っています(よね?!)
手段と目的の混同と、よく言われているということは皆間違うということ。
みんな間違うということは自分もまた必ず間違う。
間違えても再度立ち止まって再確認。
コンパスで方向を確かめることが人生において遭難しないことにつながると思います。
今歩いてきた道がずれていたら、「正しいはず」と突き進まずに
立ち止まって修正する。
愚直にやっていく。